先日、後継者候補の息子さんを連れて相談に来られた社長がいました。「父が『全株を長男に譲る』という遺言を書いてくれたので、もう承継対策は終わったと思っていました」と、息子さんは少し安心した顔で話していました。

ですが、その話を聞いて私は正直、ヒヤッとしました。遺言があるからといって、事業承継が安心とは限らないからです。

遺言があっても他の相続人には権利が残る

日本の相続には「遺留分」という制度があります。これは、遺言の内容に関わらず、配偶者や子どもなど一定の相続人に最低限保障される取り分のことです。

つまり社長が「全株を長男に」という遺言を残していても、他の兄弟姉妹には遺留分という権利が残ります。遺言でその権利そのものを消すことはできません。

兄弟姉妹が「株が欲しい」と言っているわけではなくても、遺留分を侵害された分については金銭で請求する権利があります。これを「遺留分侵害額請求」と呼びます。

株はあっても現金がない、という事態

ここで問題になるのが、請求されるのが「株」ではなく「現金」だという点です。

例えば自社株の評価額が3億円、後継者以外の兄弟が2人いるケースを考えてみましょう。それぞれの遺留分割合が仮に12分の1ずつだとすると、単純計算でも1人あたり2,500万円前後の請求が発生しうる規模になります。

後継者の手元には会社の株はあっても、それを売って現金化するわけにはいきません。結果として、事業とは関係のない個人資産を取り崩したり、最悪の場合は自社株の一部を手放さざるを得なくなったりするケースも出てきます。

遺言を作ったことで安心してしまい、この落とし穴に気づかないまま代替わりを迎える経営者は、実はかなり多いです。

除外合意という選択肢がある

こうしたリスクに対応するための制度が、経営承継円滑化法に定められた「除外合意」です。

推定相続人全員の合意があれば、自社株の価値を遺留分の計算対象から外すことができます。つまり、後継者が受け継ぐ株式について、他の相続人があとから遺留分を主張できないようにする仕組みです。

あわせて「固定合意」という制度もあり、こちらは株式の評価額を合意時点の金額であらかじめ固定しておくものです。将来、会社の業績が伸びて株価が上がったとしても、遺留分の計算はその固定額を基準に行われるため、後継者の負担が青天井に膨らむことを防げます。

生前の合意形成がすべての前提になる

ここで大事なのは、除外合意も固定合意も、社長の生前に推定相続人全員の合意と経済産業大臣の確認、家庭裁判所の許可という手続きを踏んで初めて有効になるという点です。

相続が発生してから「実はこういう制度があったんです」と伝えても、もう手遅れです。合意を取り付けるには、後継者以外の兄弟姉妹にも状況を説明し、納得してもらうプロセスが欠かせません。

感情的な話し合いになりやすい部分でもあるので、税理士や弁護士など第三者を交えて、早い段階から準備を進めておくことをおすすめします。

遺言を作ったことで安心している経営者ほど、一度立ち止まって遺留分の試算をしてみてください。株の評価額と相続人の数によっては、想像以上に大きな金額が動く可能性があります。

※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。