先日、年商3億円の製造業を経営する田中社長(仮名)から、こんな相談を受けました。
「インボイス登録はしたんですが、取引先からの値下げ要求をずっと断れなくて……。気づいたら年間で50万円近く利益が消えていたんです」
インボイス制度が始まってから、同じような悩みを抱える社長は決して少なくありません。登録して一安心、という状態のまま気づけば損をし続けている。これが今、多くの中小企業で起きているリアルな現実です。
「登録しただけ」が一番危ない
インボイス制度は、登録すること自体がゴールではありません。むしろ登録後の動き方こそが、会社の利益を左右します。
田中社長のケースでは、インボイス対応を急ぐあまり、取引先から提示された値引き要求をほぼ全部飲んでしまいました。「消費税分を負担してほしい」という名目の値下げ交渉です。断る根拠も持たないまま対応し続けた結果、1件あたりの金額は小さくても、年間で積み上げると50万円という損失になっていたのです。
消費税10%のうちのわずかな部分、と思っていても、取引件数が多い製造業ではじわじわと効いてきます。
まず見直すべきは「簡易課税」の選択
田中社長のケースで最初に提案したのが、簡易課税制度への切り替えでした。
簡易課税とは、前々事業年度の売上が5,000万円以下の事業者が選択できる消費税の計算方式です。実際に支払った仕入れや経費の消費税を積み上げて計算する「本則課税」とは違い、業種ごとに国が定めた「みなし仕入率」を使って納税額を算出できます。
製造業の場合、このみなし仕入率は70%。つまり売上の消費税額の70%を仕入れに使ったとみなして計算するため、実際の仕入れ額が少ない月でも納税額が抑えられるケースが出てきます。業種や売上構成によっては、年間30万円以上の消費税が圧縮できることもあります。
もちろん、仕入れが多い業種や経費の消費税が大きい会社では逆効果になることもあります。どちらが有利かは必ず試算が必要です。ただ、「本則課税のままで深く考えていなかった」という会社ほど、一度比較してみる価値があります。
取引先との交渉を「制度」で武装する
消費税の計算方法を見直すだけでなく、田中社長にはもう一つアドバイスをしました。それが取引先との契約関係の整理です。
インボイス対応を口実にした値引き交渉は、法的に言えば「独占禁止法上の優越的地位の濫用」にあたる可能性があります。公正取引委員会もこの点については明確にガイドラインを出しており、一方的な値引き要求に応じる義務はないのです。
契約書や発注書の内容を整理し、「インボイス発行事業者として適切に対応している」という立場を明示するだけで、不当な値引き交渉を断る根拠になります。感情的に「嫌です」と言うのではなく、制度と契約をベースに話せるようになると、交渉の場での空気が変わります。
田中社長も、取引先との契約内容を見直してから「値引き交渉が来なくなった」とおっしゃっていました。制度は守りに使えるのです。
「攻め」と「守り」、両面で使える制度
インボイス制度は、対応が遅れると確かにコストがかかります。でも視点を変えると、制度をきちんと理解した会社が有利になる仕組みでもあります。
簡易課税で納税額を最適化しながら、契約整理で値引き交渉を封じる。この2つを組み合わせるだけで、田中社長のケースでは年間の収支改善が見えてきました。特別な節税スキームではなく、制度の正しい使い方を知っているかどうかの差です。
インボイス登録から時間が経ち、「とりあえず対応した」で止まっているなら、今が見直しのタイミングです。簡易課税の選択は事業年度の途中では変更できないため、次の期に向けた判断は早めに動くほど選択肢が広がります。決算前に一度、顧問税理士と消費税の計算方式を確認してみてください。
※本記事は一般的な情報提供を目的としています。具体的な税務判断は税理士にご相談ください。